Photo by Kazma Kobayashi
バンド「エムドゥ・モクター」、その名はフロントマンのエムドゥ・モクター(g/vo)自身の名前でもある。4人編成のこのバンドを率いる彼は、西アフリカ・ニジェール共和国の出身だ。ニジェールは、日本の約3.3倍の国土面積を持ちながら、人口はわずか約2,700万人。国土のほとんどが砂漠であり、干ばつにも苦しめられてきた。そしてその国情は常に不安定。独立やクーデターを繰り返し、現政権も軍事クーデターによって誕生した政権だ。
“砂漠の民”が、フジロックについに姿を現した。フジロックの歴史において、どんな国のどんなサウンドも違和感なく溶け込んできた。そして今、苗場の山とどんな化学反応を起こし、奇跡を巻き起こすのか? フジロック・マジックに期待が高まる。フジロック1日目、金曜日の午後3時50分。まだまだ陽が照りつけるホワイトステージ。そこに現れたのは、濃紺の衣装に身を包み、頭や首にターバンを巻いた4人の男たち。その衣装は「青衣の民」と呼ばれるトゥアレグ族の伝統着。よく見ると、「トゥアレグ・ブルー」の布地には、丸い幾何学模様が施されている。イスラム文化とは異なり、トゥアレグ族では男性が布で全身を覆い、顔を隠すのが伝統だ。構成は、ギター、ベース、ドラム、そして、ギター&ボーカルのエムドゥ・モクター。エムドゥの肩にかかっているのは、フェンダーのストラトキャスター。彼は“砂漠のジミヘン”と呼ばれる。その理由は、テクニックだけではなく、ジミ・ヘンドリックスと同じ左利きで、弦は逆張りだから。彼はピックを使わず、すべて指弾きでプレイする。
少し長めのチューニングから1曲目へ。アルバム『Ilana(The Creator)』から「Kamane Tarhanin」。続けて「Ibitilan」。さらに、2023年にリリースされたアルバム『Funeral for Justice』から「Takoba」。共鳴し合うギターとコーラスが印象的な一曲だ。そして観客の心に火をつけるように、「Sousoume Tamacheq」から、よりスピーディーな「Chismiten」へ。即興性に満ちた演奏が空気を震わせる。そのサウンドはしばしば“サイケデリック”と評されるが、そこにはトゥアレグ族の伝統音楽「タカンバ(Takamba)」や、ティナリウェンを想起させるアフリカン・ブルースの精神が宿っている。エムドゥ自身はジミ・ヘンドリックスやエディ・ヴァン・ヘイレンの影響も受けていると語る。そのスピーディーでアグレッシブなプレイは、リフの反復でオーディエンスを徐々にトランス状態へと誘っていく。かつて、エムドゥはギターを欲しがったが、両親の猛反対にあい買ってもらえず、自転車のブレーキワイヤーで4弦ギターを自作したという逸話がある。そんな背景を知って観る彼の演奏は、より一層胸に迫る。演奏の速度を自在に変化させる即興力、タッピング奏法、そして独自に磨き上げたであろうテクニック。そのすべてが響き渡っている。バンドメンバー全員の演奏にも、確かなポテンシャルを感じる。4人が一つの魂となって鳴らしている音がある。MCでは、エムドゥが英語で「日本の人々はとても尊敬の心を持って接してくれた」と感謝を述べ、「すごくエキサイティングな気持ちだ」と語った。中盤、ステージを降りてフォト・ピットへ。身長が高く大柄な彼が、観客と同じ目線でギターをかき鳴らす。その姿は圧倒的で、ホワイトステージの熱気が一気に高まる。彼の歌は、母国の不安定な政治情勢、トゥアレグ族の怒りや悲しみを伝える、強いメッセージ性を持っている。タマシェク語の歌詞は理解できなくても、その情熱は音として、振動として、確かに伝わってくる。それこそが、音楽の力なのだ。「Imouhar」「Tarhatazed」──曲が変わるたびに高まるボルテージ。バンドとのコンビネーションも抜群で、ステージは一体感に包まれていく。そして再び、エムドゥがステージを降りた。今度はなんと、オーディエンスの中へ飛び込んでいったのだ。それは、日本、フジロックの観客への信頼があってこそできたもの。苗場の山と、西洋、そしてアフリカが融合した音楽の中で、奇跡が確かに生まれた。最後に優しい表情で、”Thank you so much”と観客に感謝を述べ、ステージを後にするエムドゥ・モクター。彼らの濃紺の衣装は、演奏と熱気と汗にまみれ、さらに深く、濃い青へと変わっていた。その瞬間、ホワイトステージも青く染まっていた。
text by 喜久知重比呂
差し込む光が西日に変わり始めたホワイトステージには異様な熱気が溢れていた。ニジェール共和国出身の彼らを知ったきっかけが"砂漠のジミ・ヘンドリックス”というキャッチコピーだったリスナーも多かったであろう。ステージに立ったエムドゥ・モクターがレフティのストラトキャスターを構えた瞬間に歓声が上がる。
1曲目「Kamane TarhaninChismiten」から、ジミ・ヘンドリックスという稀代のギタリストに喩えられる理由がわかる。荒々しく暴れ回るディストーション・サウンドが際限なく繰り出され、眩暈がするほど強烈なサイケデリアが立ち現れるのだ。スクリーンに写し出された左手にピックは持っておらず、指で弦を捌く。指板を抑える右手の手つきの鮮やかさと合わせ、”人智を超えた”という形容詞が思わず浮かぶ。
同時に、バンド全体のグルーブは驚くほどにモダンで、特にドラマー、スレイマン・イブラヒムのプレイは圧巻である。中序盤で披露された「Sousoume Tamacheq」をはじめ、アフロビートを思い起こさせるダンサンブルなアプローチとキメで熱を煽るロックバンドらしいアプローチが両立しており、ルーツと鮮烈な新しさが同時に存在するサウンドが完成している。
また、オーディエンスとの距離を数歩飛ばしで縮めていく姿も印象深い。MCで「日本に来ていくつも素晴らしい瞬間があったけど、フジロックの景色はベストだ」と語った姿も印象的だった。「Funeral for Justice」ではレッド・ツェッペリンやブラック・サバスを想起させるギターリフが苗場に大音量で響いて、彼らのルーツから来るメロディーがロックのダイナミズムと結びつき、懐かしくも新しい興奮が立ち上がる。その直後に披露された「Imouhar」ではステージを飛び出し、フロアの柵の前でギターソロをプレイ。最前列の観客とハイタッチしながらギターを弾く、という両手を使う楽器では生まれ得ないはずの景色がレフトハンド奏法によって実現される。テクニックがプレイヤーの威光を強めるためではなく、オーディエンスとの親密さを増すために存在していた。
終盤に披露された「Funeral for Justice」ではレッド・ツェッペリンやブラック・サバスを想起させるギターリフが苗場に大音量で響く。彼らのルーツから来るメロディーがロックのダイナミズムと結びつき、懐かしくも新しい興奮が立ち上がる。ライブを締める「TarhatazedAfrique Victime」が演奏される頃には誰もが思うがままに歓声を上げ、手拍子を打ち、音に身を任せていた。 最後にエムドゥ・モクターは最前列の柵を飛び越えフロアでギターを弾き、ステージへ戻った後もフロアの熱気が引くことはなかった。
自らのルーツの開示と誰も拒むことない熱狂が両立し、その場で鳴る音は容易く出自の壁を越える。排他的な声が増す社会の中で、改めてフェスティバルという空間の意味を思い出させてくれたステージであった。
Text by 葱
フジロック会場で完売したTシャツも受注生産受付中!
Mdou Moctar - Fujirock 2025 T-Shirt
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15222
Photo by Kazma Kobayashi
バンド「エムドゥ・モクター」、その名はフロントマンのエムドゥ・モクター(g/vo)自身の名前でもある。4人編成のこのバンドを率いる彼は、西アフリカ・ニジェール共和国の出身だ。ニジェールは、日本の約3.3倍の国土面積を持ちながら、人口はわずか約2,700万人。国土のほとんどが砂漠であり、干ばつにも苦しめられてきた。そしてその国情は常に不安定。独立やクーデターを繰り返し、現政権も軍事クーデターによって誕生した政権だ。“砂漠の民”が、フジロックについに姿を現した。フジロックの歴史において、どんな国のどんなサウンドも違和感なく溶け込んできた。そして今、苗場の山とどんな化学反応を起こし、奇跡を巻き起こすのか? フジロック・マジックに期待が高まる。フジロック1日目、金曜日の午後3時50分。まだまだ陽が照りつけるホワイトステージ。そこに現れたのは、濃紺の衣装に身を包み、頭や首にターバンを巻いた4人の男たち。その衣装は「青衣の民」と呼ばれるトゥアレグ族の伝統着。よく見ると、「トゥアレグ・ブルー」の布地には、丸い幾何学模様が施されている。イスラム文化とは異なり、トゥアレグ族では男性が布で全身を覆い、顔を隠すのが伝統だ。構成は、ギター、ベース、ドラム、そして、ギター&ボーカルのエムドゥ・モクター。エムドゥの肩にかかっているのは、フェンダーのストラトキャスター。彼は“砂漠のジミヘン”と呼ばれる。その理由は、テクニックだけではなく、ジミ・ヘンドリックスと同じ左利きで、弦は逆張りだから。彼はピックを使わず、すべて指弾きでプレイする。
少し長めのチューニングから1曲目へ。アルバム『Ilana(The Creator)』から「Kamane Tarhanin」。続けて「Ibitilan」。さらに、2023年にリリースされたアルバム『Funeral for Justice』から「Takoba」。共鳴し合うギターとコーラスが印象的な一曲だ。そして観客の心に火をつけるように、「Sousoume Tamacheq」から、よりスピーディーな「Chismiten」へ。即興性に満ちた演奏が空気を震わせる。そのサウンドはしばしば“サイケデリック”と評されるが、そこにはトゥアレグ族の伝統音楽「タカンバ(Takamba)」や、ティナリウェンを想起させるアフリカン・ブルースの精神が宿っている。エムドゥ自身はジミ・ヘンドリックスやエディ・ヴァン・ヘイレンの影響も受けていると語る。そのスピーディーでアグレッシブなプレイは、リフの反復でオーディエンスを徐々にトランス状態へと誘っていく。かつて、エムドゥはギターを欲しがったが、両親の猛反対にあい買ってもらえず、自転車のブレーキワイヤーで4弦ギターを自作したという逸話がある。そんな背景を知って観る彼の演奏は、より一層胸に迫る。演奏の速度を自在に変化させる即興力、タッピング奏法、そして独自に磨き上げたであろうテクニック。そのすべてが響き渡っている。バンドメンバー全員の演奏にも、確かなポテンシャルを感じる。4人が一つの魂となって鳴らしている音がある。MCでは、エムドゥが英語で「日本の人々はとても尊敬の心を持って接してくれた」と感謝を述べ、「すごくエキサイティングな気持ちだ」と語った。中盤、ステージを降りてフォト・ピットへ。身長が高く大柄な彼が、観客と同じ目線でギターをかき鳴らす。その姿は圧倒的で、ホワイトステージの熱気が一気に高まる。彼の歌は、母国の不安定な政治情勢、トゥアレグ族の怒りや悲しみを伝える、強いメッセージ性を持っている。タマシェク語の歌詞は理解できなくても、その情熱は音として、振動として、確かに伝わってくる。それこそが、音楽の力なのだ。「Imouhar」「Tarhatazed」──曲が変わるたびに高まるボルテージ。バンドとのコンビネーションも抜群で、ステージは一体感に包まれていく。そして再び、エムドゥがステージを降りた。今度はなんと、オーディエンスの中へ飛び込んでいったのだ。それは、日本、フジロックの観客への信頼があってこそできたもの。苗場の山と、西洋、そしてアフリカが融合した音楽の中で、奇跡が確かに生まれた。最後に優しい表情で、”Thank you so much”と観客に感謝を述べ、ステージを後にするエムドゥ・モクター。彼らの濃紺の衣装は、演奏と熱気と汗にまみれ、さらに深く、濃い青へと変わっていた。その瞬間、ホワイトステージも青く染まっていた。
text by 喜久知重比呂
差し込む光が西日に変わり始めたホワイトステージには異様な熱気が溢れていた。ニジェール共和国出身の彼らを知ったきっかけが"砂漠のジミ・ヘンドリックス”というキャッチコピーだったリスナーも多かったであろう。ステージに立ったエムドゥ・モクターがレフティのストラトキャスターを構えた瞬間に歓声が上がる。
1曲目「Kamane TarhaninChismiten」から、ジミ・ヘンドリックスという稀代のギタリストに喩えられる理由がわかる。荒々しく暴れ回るディストーション・サウンドが際限なく繰り出され、眩暈がするほど強烈なサイケデリアが立ち現れるのだ。スクリーンに写し出された左手にピックは持っておらず、指で弦を捌く。指板を抑える右手の手つきの鮮やかさと合わせ、”人智を超えた”という形容詞が思わず浮かぶ。
同時に、バンド全体のグルーブは驚くほどにモダンで、特にドラマー、スレイマン・イブラヒムのプレイは圧巻である。中序盤で披露された「Sousoume Tamacheq」をはじめ、アフロビートを思い起こさせるダンサンブルなアプローチとキメで熱を煽るロックバンドらしいアプローチが両立しており、ルーツと鮮烈な新しさが同時に存在するサウンドが完成している。
また、オーディエンスとの距離を数歩飛ばしで縮めていく姿も印象深い。MCで「日本に来ていくつも素晴らしい瞬間があったけど、フジロックの景色はベストだ」と語った姿も印象的だった。「Funeral for Justice」ではレッド・ツェッペリンやブラック・サバスを想起させるギターリフが苗場に大音量で響いて、彼らのルーツから来るメロディーがロックのダイナミズムと結びつき、懐かしくも新しい興奮が立ち上がる。その直後に披露された「Imouhar」ではステージを飛び出し、フロアの柵の前でギターソロをプレイ。最前列の観客とハイタッチしながらギターを弾く、という両手を使う楽器では生まれ得ないはずの景色がレフトハンド奏法によって実現される。テクニックがプレイヤーの威光を強めるためではなく、オーディエンスとの親密さを増すために存在していた。
終盤に披露された「Funeral for Justice」ではレッド・ツェッペリンやブラック・サバスを想起させるギターリフが苗場に大音量で響く。彼らのルーツから来るメロディーがロックのダイナミズムと結びつき、懐かしくも新しい興奮が立ち上がる。ライブを締める「TarhatazedAfrique Victime」が演奏される頃には誰もが思うがままに歓声を上げ、手拍子を打ち、音に身を任せていた。 最後にエムドゥ・モクターは最前列の柵を飛び越えフロアでギターを弾き、ステージへ戻った後もフロアの熱気が引くことはなかった。
自らのルーツの開示と誰も拒むことない熱狂が両立し、その場で鳴る音は容易く出自の壁を越える。排他的な声が増す社会の中で、改めてフェスティバルという空間の意味を思い出させてくれたステージであった。
Text by 葱
フジロック会場で完売したTシャツも受注生産受付中!
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