Laraaji @Sogetsu Hall 2025.9.11
アンビエント音楽のリビング・レジェンドであるララージ6年ぶりの来日にあたり、ここ最近の彼を巡るトピックでもっとも話題なのは、リリースされたばかりのビッグ・シーフ『Double Infinity』への参加であろう。彼の音に対する自由な姿勢がアルバムのフリーフォームな感覚と開放感に大きな貢献を果たしている。彼らのリリース・ツアーの一部ではサポートアクトとして出演することも決まっており、圧倒的なキャリアを誇りながら"今観るべきアーティスト"となった彼の世界を体験する絶好の機会だ。
まずオープニングを飾ったスペシャル・ゲスト、原摩利彦のトリオによるステージが緊張感を保ちながら素晴らしかった。インプロビゼーションのパートを織り交ぜ、波の音や生活の音がピアノ、そしてヴァイオリンとチェロが重なり合う「Circle Of Life」で締めくくるセットは、彼の音楽が持つ静かな強さ、そしてララージへの敬意が感じられた。
セットチェンジが行われ、タイダイのクロスが敷かれたステージ中央のテーブルの上には2種類のツィター、カリンバ(あるいはムビラだろうか)をメインに、ウィンドチャイムやエフェクターなど楽器と機材が所狭しと置かれている。トレードマークであるオレンジ(彼曰く太陽の色)の服に身を包んだララージが登場し、テーブルの前に立つ。ツィターとカリンバを肩慣らしのように鳴らしたあと、四方に向かってベルを鳴らすと、たちまちそこに穏やかな空間が生まれる。
カリンバの愛らしい音とブーストさせたツィターの音が重なり、夜の虫の音が背後から忍び寄ってくる。ヴァイオリンの弓やブラシ、スティックなどを持ち替え奏でられるツィターは、アコースティック・ギターのような鋭さと琴の優美さを行き来する。やや酩酊感のあるサイケデリアが広がっていくツィターのパートの後、メランコリックで夢の中にいるような電子ピアノを弾き終えると、銅鑼の前に立ち、右手でマレット、左手でマイクを持つ。時折自身の声を挟み、マイクの位置を細かく変えながら、銅鑼の重厚な残響音にドローンのような効果を持たせていた。まるで、自然の音を模倣するような、そう、この日東京を襲った雷雨を思い起こさせる不穏さが沸き起こってきた。
弾いた音をその場でダブ処理をしたり、エレクトロニックな要素やシンセサイザーのようなエフェクトを加えることで、シンプルなレイヤーを細かく調整する。そのプロセスを絶えず繰り返すことで、音の表情を変化させていく。インプロビゼーションを基調に、空間から旋律を探すように、その場の気配や聴き入っているオーディエンスの波動を受けてサウンドを生み出しているかのようだ。再びツィターの前に戻り、ブラシでツィターを打楽器のように叩きながら、スキャットでもポエトリー・リーディングでもない素朴さに溢れたヴォーカルが披露される。所々にワハハハと笑い声が挿入されてくると、固唾をのんで聴き入っていたオーディエンスからも歓声が上がる。本当に自由奔放で、包容力のある声に癒される。
おもむろに腕まくりをして、ツィターを指で弾きながら、水の音が表れ、そこにツィターとシンセのような音色が加わる。それも次第に小さくなり、自然の音だけになり、音が遠ざかり、無音となる。沈黙を味わうような様子の後、最初と同じくベルを四方に向かって鳴らし、本編は終了した。厳かな雰囲気から一転、満足そうに親指をグッと上げ割れんばかりのスタンディング・オベーションに応え、踊りながら会場を後にする様子がなんともチャーミングだった。
アンコールに登場した彼は、グランドピアノの前に座り、「Laws of Manifestation」と思われるフレーズを歌い始める。とはいえその原曲(?)とはおおよそかけ離れた自由奔放な歌が、のびのびと草月ホールを包み込んだ。
「すごく感動した」「スッキリした」周囲のオーディエンスが口々にその思いを口にしていたけれど、メディテーショナルであるとともに、そんなシンプルな感想がふさわしい。終演後、草月ホールを出ると眼の前に広がる高橋是清翁記念公園から、今体験してきたライブと同じく虫の声が聞こえてくるというシチュエーションにも身震いした。その偶然も含め、草月ホールはララージを体感するにふさわしい会場だったと思う。軽やかでユーモアに満ちた、無邪気に音と戯れるピュアネスを感じずにはいられない。彼の笑いと瞑想のワークショップに招かれたかのような親密なムードを浴びた夜だった。
Text by 駒井憲嗣
アンビエント音楽のリビング・レジェンドであるララージ6年ぶりの来日にあたり、ここ最近の彼を巡るトピックでもっとも話題なのは、リリースされたばかりのビッグ・シーフ『Double Infinity』への参加であろう。彼の音に対する自由な姿勢がアルバムのフリーフォームな感覚と開放感に大きな貢献を果たしている。彼らのリリース・ツアーの一部ではサポートアクトとして出演することも決まっており、圧倒的なキャリアを誇りながら"今観るべきアーティスト"となった彼の世界を体験する絶好の機会だ。
まずオープニングを飾ったスペシャル・ゲスト、原摩利彦のトリオによるステージが緊張感を保ちながら素晴らしかった。インプロビゼーションのパートを織り交ぜ、波の音や生活の音がピアノ、そしてヴァイオリンとチェロが重なり合う「Circle Of Life」で締めくくるセットは、彼の音楽が持つ静かな強さ、そしてララージへの敬意が感じられた。
セットチェンジが行われ、タイダイのクロスが敷かれたステージ中央のテーブルの上には2種類のツィター、カリンバ(あるいはムビラだろうか)をメインに、ウィンドチャイムやエフェクターなど楽器と機材が所狭しと置かれている。トレードマークであるオレンジ(彼曰く太陽の色)の服に身を包んだララージが登場し、テーブルの前に立つ。ツィターとカリンバを肩慣らしのように鳴らしたあと、四方に向かってベルを鳴らすと、たちまちそこに穏やかな空間が生まれる。
カリンバの愛らしい音とブーストさせたツィターの音が重なり、夜の虫の音が背後から忍び寄ってくる。ヴァイオリンの弓やブラシ、スティックなどを持ち替え奏でられるツィターは、アコースティック・ギターのような鋭さと琴の優美さを行き来する。やや酩酊感のあるサイケデリアが広がっていくツィターのパートの後、メランコリックで夢の中にいるような電子ピアノを弾き終えると、銅鑼の前に立ち、右手でマレット、左手でマイクを持つ。時折自身の声を挟み、マイクの位置を細かく変えながら、銅鑼の重厚な残響音にドローンのような効果を持たせていた。まるで、自然の音を模倣するような、そう、この日東京を襲った雷雨を思い起こさせる不穏さが沸き起こってきた。
弾いた音をその場でダブ処理をしたり、エレクトロニックな要素やシンセサイザーのようなエフェクトを加えることで、シンプルなレイヤーを細かく調整する。そのプロセスを絶えず繰り返すことで、音の表情を変化させていく。インプロビゼーションを基調に、空間から旋律を探すように、その場の気配や聴き入っているオーディエンスの波動を受けてサウンドを生み出しているかのようだ。再びツィターの前に戻り、ブラシでツィターを打楽器のように叩きながら、スキャットでもポエトリー・リーディングでもない素朴さに溢れたヴォーカルが披露される。所々にワハハハと笑い声が挿入されてくると、固唾をのんで聴き入っていたオーディエンスからも歓声が上がる。本当に自由奔放で、包容力のある声に癒される。
おもむろに腕まくりをして、ツィターを指で弾きながら、水の音が表れ、そこにツィターとシンセのような音色が加わる。それも次第に小さくなり、自然の音だけになり、音が遠ざかり、無音となる。沈黙を味わうような様子の後、最初と同じくベルを四方に向かって鳴らし、本編は終了した。厳かな雰囲気から一転、満足そうに親指をグッと上げ割れんばかりのスタンディング・オベーションに応え、踊りながら会場を後にする様子がなんともチャーミングだった。
アンコールに登場した彼は、グランドピアノの前に座り、「Laws of Manifestation」と思われるフレーズを歌い始める。とはいえその原曲(?)とはおおよそかけ離れた自由奔放な歌が、のびのびと草月ホールを包み込んだ。
「すごく感動した」「スッキリした」周囲のオーディエンスが口々にその思いを口にしていたけれど、メディテーショナルであるとともに、そんなシンプルな感想がふさわしい。終演後、草月ホールを出ると眼の前に広がる高橋是清翁記念公園から、今体験してきたライブと同じく虫の声が聞こえてくるというシチュエーションにも身震いした。その偶然も含め、草月ホールはララージを体感するにふさわしい会場だったと思う。軽やかでユーモアに満ちた、無邪気に音と戯れるピュアネスを感じずにはいられない。彼の笑いと瞑想のワークショップに招かれたかのような親密なムードを浴びた夜だった。
Text by 駒井憲嗣