国もジャンルも飛び越える〈Luaka Bop〉と〈Beat Records〉の新たなパートナーシップ締結を記念して、スペシャル・グッズが抽選で当たるキャンペーンを開催!!!
伝説的バンド、トーキング・ヘッズのリーダーにして、ソロでもジャンルを跨いだ活躍で注目を集め続けるデヴィッド・バーンが主宰のレーベル〈Luaka Bop〉。
近年では伝説のサックス奏者ファラオ・サンダースや電子音楽家フローティング・ポインツ、ナイジェリアのアフロ・ファンクの雄ウィリアム・オニェイバー、そして米南部ミシシッピ州のディスコ・ゴスペル・バンド、アニー&ザ・コールドウェルズなど多岐に渡るリリースを重ねており、既存の価値観に捉われることなく独自の審美眼で重ねられた〈Luaka Bop〉のカタログは新たな発見を生み出し続けている。
CAMPAIGN 1
〈Luaka Bop〉の商品を買うと、もれなくロゴ・ステッカーがついてくる!

CAMPAIGN 2
ロゴ・ステッカー裏面のシリアルコードを入力すると、特別な〈Luaka Bop〉グッズが抽選でもらえるチャンス!
※下記フォームより、ステッカー裏面のシリアルコードを入力してご応募ください。
https://docs.google.com/forms/d/1tsMD3iUah2AP64HPzbEbKjN_aZHS1YKQcjhHDeizXfE/edit#settings
▼ 当選商品はランダム抽選となりますのでご了承ください。お届けは10月中旬以降になります。
▼ 応募締切:2025年9月30日(火)23:59
対象作品
and more...
全対象商品はこちらから →【 Luaka Bop 商品一覧 】
当選商品
〈Luaka Bop〉について
〈Luaka Bop〉NEWS 近年では伝説のサックス奏者ファラオ・サンダースや電子音楽家フローティング・ポインツ、ナイジェリアのアフロ・ファンクの雄ウィリアム・オニェイバー、そして米南部ミシシッピ州のディスコ・ゴスペル・バンド、アニー&ザ・コールドウェルズなど多岐に渡るリリースを重ねており、既存の価値観に捉われることなく独自の審美眼で重ねられた〈Luaka Bop〉のカタログは新たな発見を生み出し続けている。
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▼ 当選商品はランダム抽選となりますのでご了承ください。お届けは10月中旬以降になります。
▼ 応募締切:2025年9月30日(火)23:59
対象作品
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全対象商品はこちらから →【 Luaka Bop 商品一覧 】
当選商品
〈Luaka Bop〉について
1988年に設立され、国もジャンルも飛び越えて世界の様々な音楽を紹介してきたレーベル〈Luaka Bop〉は、デヴィッド・バーンがいち音楽ファンとして「自分の好きなものを友達に紹介したい。」という本質的な衝動から始まったレーベルであり、デヴィッドのお気に入りであるブラジルのアーティストの楽曲を集めたコンピレーション『Beleza Tropical』のリリースをきっかけにスタートした。
"Luaka" はイングランドで売られてた紅茶のパッケージに書かれてた紅茶の輸入業者の名前で、"Bop"というのは "Broken Orange Pekoe(紅茶の葉)" のことであり、その紅茶のパッケージに載っていた、奇妙だが音楽的な文字の並びをデヴィッド自身が気に入り、レーベルの名前に採用された。
デヴィッドと共に〈Luaka Bop〉を運営してきたオーナーのイェール・エバレフは、元々自身のレーベル〈Icon Records〉からジョン・ゾーンやダニエル・レンツといった重要アーティストのリリースを手がけてきた人物であり、膨大な音楽知識と世界のありとあらゆるレコード・アーカイブを所有する彼の音楽に対する底知れない探究心も相まって、レーベルからの上質なリリースが実現している。
近年では伝説のサックス奏者ファラオ・サンダースや電子音楽家フローティング・ポインツ、ナイジェリアのアフロ・ファンクの雄ウィリアム・オニェイバー、そして米南部ミシシッピ州のディスコ・ゴスペル・バンド、アニー&ザ・コールドウェルズなど多岐に渡るリリースを重ねており、既存の価値観に捉われることなく独自の審美眼で重ねられた〈Luaka Bop〉のカタログは新たな発見を生み出し続けている。
What is Luaka Bop?
The final position in Kama Sutra.
What is Luaka Bop?
A type of secret defensive move in an Indonesian martial art.
What is Luaka Bop?
A sweet Polynesian delicacy with aphrodisiac properties.
What is Luaka Bop?
A classic Charlie Parker tune that was never recorded.
トン・ゼーとの出会い
イェール:これは僕が〈Luaka Bop〉で働きはじめて最初に手掛けたレコードです。トンは「Massive hits」のビデオ撮影の時に僕の家に泊まったのですが、家に入るとどこからともなく「ウーンア ウーンア ウーンア」と奇妙な物音が聞こえてきた時の僕のガールフレンドの顔は忘れられません。トンが翌日のビデオ撮影のためにリップシンクの練習をしていたんです。それまでブラジルを出たことがなかったトンを空港まで迎えに行ったことも忘れられません。早朝便で来るので僕は朝7時に起きなければいけませんでした。彼は税関を最後に出てきて、小さな赤いバッグと奇妙な 「ドーナツ 」みたいなものを持っていました。彼は道中その上に座っていたんだ。変わった帽子かと思ったよ。
とにかく、僕たちはトンと彼の音楽をとても誇りに思っています。彼は唯一無二ですばらしい。必聴だよ。
デヴィッド:(ラテンのビッグバンドとの)『レイ・モモ』ツアーでリオに行った時、タイトルに「サンバ」という言葉のある、モノクロの有刺鉄線の画像が入ったジャケットのレコードを手に取ったんだ。ようやく家に帰ってそれを聴いてみて驚いた! それはトンのレコード『Estudando o Samba』、言い換えれば「サンバ学習」でした。むしろサンバの脱構築だからからかい半分のタイトルだね。歌とインストゥルメンタルが収録されていて、その最高の部分は僕たちが最初に出したトン・ゼー・コンピレーションに収録されていますが、西洋のアヴァンギャルドな技術と脱臼したブラジルのリズム、ほぼコンクリート・ポエトリーみたいな歌詞が組み合わされていました。ノックアウトされたよ! どうして僕はこれまでこの男のことを聞いたことがなかったんだろう!?
彼は何者だ? 他にもこういうのがもっとあるのか?
さて、僕はブラジルの実験音楽をある程度は聴いてきました……いろいろな長さのPVCパイプで作ったドラムで演奏するウアクチから、豚を 「演奏 」したこともあると噂されるエルメート・パスコアールまで。長い歴史があるんだ。しかし、トンの作品はポップ——ブラジリアン・ポップ——の構造とグルーヴの枠内(ギリギリのところ)で機能していました。世界のどこであろうと最も大胆でキャッチーなものに気づいている、あるいはそれらと平行して生まれているブラジリアン・ポップです。最初のコンピレーションを手伝ってくれたCBGB's時代からの友人でブラジル育ちのアート・リンゼイにトンについて尋ねました。彼は、トンがトロピカリズモ世代と関わっていたことを教えてくれますた。彼は60年代後半から70年代初頭にかけて、ロックやファンクのスタイルをブラジル音楽に取り入れてブラジルのオーディエンスに衝撃を与えた革新者たち...... ムタンチス、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルらと協働していたんです。しかし、これらのアーティストのほとんどがブラジリアン・ポップに自分の居場所を見出したのに対し、トンは周縁に居続けた。彼の2枚目のレコード『Todos os Olhos』は軍事独裁政権下の暗黒時代、ブラジル音楽における検閲が最も厳しかった頃にリリースされています。このアルバムのジャケットにはぼんやりと目のようなものが映っているが、実のところそれはTomのお尻にくっついたビー玉なんだ。検閲に対する「クソ食らえ」です。
私たちがトンの作品を集めた最初のコンピレーションをリリースした時、彼は音楽から身を引こうとしていました。ブラジルのレーベルはどこも彼に接触しようとせず、彼はブラジル音楽史の脚注になりつつありました。彼は荷物をまとめて北東部の小さな田舎町にある実家の乾物屋に戻ろうとしていました。しかし、このレコードは彼のキャリアを復活させ、創作意欲をかき立てたんです。彼は現在、私たちのところでの3枚目のリリースを準備中です。
喜納昌吉との出会い
イェール:僕は自分のレーベル〈ICON〉でジョン・ゾーンの『The Big Gundown』というレコードをプロデュースしました(1986年に〈Nonesuch〉からリリース)。ジョンと僕は以前から友達だったのですが(同じレコード店で働いていました)、1年かけてこのレコードをプロデュースする過程でより親密になりました。彼は日本が大好きになって東京にアパートを借りるほどで、行くたびに日本のレコードをたくさん持って帰ってきました。その中に喜納昌吉のレコードもありました。僕はこの音楽にすっかり魅了され、〈ICON〉で彼と一緒にレコードを作るために、一緒に沖縄に彼を探しに行くことにしました。僕たちは実際に行ったのだけれど、彼は見つからなかった。その頃、彼はインドで樹木を崇拝していたと聞きました。
〈Luaka Bop〉に入って1年ほど経った頃、デヴィッドが彼の喜納昌吉のコレクションを取り出してこれはどうだろうと言ったんです。僕はLPを1万枚くらい持っているけど、デヴィッドはその5分の1くらいかな。彼は世界中を旅しているうちに、いつも人から「これを持ってなきゃ」とレコードを渡されるんです。そして彼はいつも不思議と店で最高のレコードを引き当てます。とにかく、この1枚で日本の交渉のやりかたをじかに見ることができました。本当に激烈で、すべてを実現するために僕たちは基本的にその場を立ち去らなければなりませんでした。
デヴィッド:喜納昌吉は日本ではよく知られている通り沖縄出身だけれど、70年代半ばにはもう日本のポップ・シーンに大きな影響を与えていました。彼はおそらく伝統的な楽器やアジアのメロディーや歌唱とロックやレゲエのビートをミックスした最初のアーティストだと思います。坂本龍一らのイエロー・マジック・オーケストラのような他の有名な日本人アーティストたちは、アジアというよりクラフトワークやジョルジオ・モロダーに近い存在でした……また、リード・シンガーがイギリスの凄腕プロデューサー、クリス・トーマス(セックス・ピストルズ、プリテンダーズなど)と結婚したサディスティック・ミカ・バンドも、ひねくれたアジア的感性があるとはいえ西洋のモデルに非常に近かった。そのため、沖縄の人(喜納昌吉は知られている通り日本人ではなく沖縄人である)が日本のポップ界において道を切り拓き、真にユニークで異質なものを生み出すための突破口を開く必要があったのです。
その後のアルバムでは、ライ・クーダー(彼はどこにでもいる!)がいくつかの名曲に参加しています……「ジンジン」、「すべての人の心に花を」などなど。
なぜ私たちはこのコンピレーションをリリースしたのか? ある日、イェールと私はふたりともこの比較的知られていないバンドのファンであることがわかりました……そして友人や他の人たちを通して、レアなシングルや初期の音源を探し出すことができた。いい音のコンピレーションを作るのに十分なだけのね。驚きはしないが、このコンピレーションの売れ行きは過去最悪でした。奇妙に甲高いバックコーラスが敬遠されたのだと人は言うけれど、すばらしいグルーヴとすばらしくスウィングするスタイルを備えた名曲集にもかかわらず売れなかったのは、至福のニューエイジとか禅とかそういう瞑想的で神秘的なコンセプトに合わないアジアのサウンドに西洋人が入り込むのは難しかったからだろうと私たちは推測しています。いずれにせよこのグループのライブはすばらしいので、可能ならぜひ足を運んでみてほしいですね……きちんとしたコンサートというよりほとんど集会か祝賀会のような体験なんです。
"Luaka" はイングランドで売られてた紅茶のパッケージに書かれてた紅茶の輸入業者の名前で、"Bop"というのは "Broken Orange Pekoe(紅茶の葉)" のことであり、その紅茶のパッケージに載っていた、奇妙だが音楽的な文字の並びをデヴィッド自身が気に入り、レーベルの名前に採用された。
デヴィッドと共に〈Luaka Bop〉を運営してきたオーナーのイェール・エバレフは、元々自身のレーベル〈Icon Records〉からジョン・ゾーンやダニエル・レンツといった重要アーティストのリリースを手がけてきた人物であり、膨大な音楽知識と世界のありとあらゆるレコード・アーカイブを所有する彼の音楽に対する底知れない探究心も相まって、レーベルからの上質なリリースが実現している。
近年では伝説のサックス奏者ファラオ・サンダースや電子音楽家フローティング・ポインツ、ナイジェリアのアフロ・ファンクの雄ウィリアム・オニェイバー、そして米南部ミシシッピ州のディスコ・ゴスペル・バンド、アニー&ザ・コールドウェルズなど多岐に渡るリリースを重ねており、既存の価値観に捉われることなく独自の審美眼で重ねられた〈Luaka Bop〉のカタログは新たな発見を生み出し続けている。
What is Luaka Bop?
The final position in Kama Sutra.
What is Luaka Bop?
A type of secret defensive move in an Indonesian martial art.
What is Luaka Bop?
A sweet Polynesian delicacy with aphrodisiac properties.
What is Luaka Bop?
A classic Charlie Parker tune that was never recorded.
トン・ゼーとの出会い
イェール:これは僕が〈Luaka Bop〉で働きはじめて最初に手掛けたレコードです。トンは「Massive hits」のビデオ撮影の時に僕の家に泊まったのですが、家に入るとどこからともなく「ウーンア ウーンア ウーンア」と奇妙な物音が聞こえてきた時の僕のガールフレンドの顔は忘れられません。トンが翌日のビデオ撮影のためにリップシンクの練習をしていたんです。それまでブラジルを出たことがなかったトンを空港まで迎えに行ったことも忘れられません。早朝便で来るので僕は朝7時に起きなければいけませんでした。彼は税関を最後に出てきて、小さな赤いバッグと奇妙な 「ドーナツ 」みたいなものを持っていました。彼は道中その上に座っていたんだ。変わった帽子かと思ったよ。
とにかく、僕たちはトンと彼の音楽をとても誇りに思っています。彼は唯一無二ですばらしい。必聴だよ。
デヴィッド:(ラテンのビッグバンドとの)『レイ・モモ』ツアーでリオに行った時、タイトルに「サンバ」という言葉のある、モノクロの有刺鉄線の画像が入ったジャケットのレコードを手に取ったんだ。ようやく家に帰ってそれを聴いてみて驚いた! それはトンのレコード『Estudando o Samba』、言い換えれば「サンバ学習」でした。むしろサンバの脱構築だからからかい半分のタイトルだね。歌とインストゥルメンタルが収録されていて、その最高の部分は僕たちが最初に出したトン・ゼー・コンピレーションに収録されていますが、西洋のアヴァンギャルドな技術と脱臼したブラジルのリズム、ほぼコンクリート・ポエトリーみたいな歌詞が組み合わされていました。ノックアウトされたよ! どうして僕はこれまでこの男のことを聞いたことがなかったんだろう!?
彼は何者だ? 他にもこういうのがもっとあるのか?
さて、僕はブラジルの実験音楽をある程度は聴いてきました……いろいろな長さのPVCパイプで作ったドラムで演奏するウアクチから、豚を 「演奏 」したこともあると噂されるエルメート・パスコアールまで。長い歴史があるんだ。しかし、トンの作品はポップ——ブラジリアン・ポップ——の構造とグルーヴの枠内(ギリギリのところ)で機能していました。世界のどこであろうと最も大胆でキャッチーなものに気づいている、あるいはそれらと平行して生まれているブラジリアン・ポップです。最初のコンピレーションを手伝ってくれたCBGB's時代からの友人でブラジル育ちのアート・リンゼイにトンについて尋ねました。彼は、トンがトロピカリズモ世代と関わっていたことを教えてくれますた。彼は60年代後半から70年代初頭にかけて、ロックやファンクのスタイルをブラジル音楽に取り入れてブラジルのオーディエンスに衝撃を与えた革新者たち...... ムタンチス、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルらと協働していたんです。しかし、これらのアーティストのほとんどがブラジリアン・ポップに自分の居場所を見出したのに対し、トンは周縁に居続けた。彼の2枚目のレコード『Todos os Olhos』は軍事独裁政権下の暗黒時代、ブラジル音楽における検閲が最も厳しかった頃にリリースされています。このアルバムのジャケットにはぼんやりと目のようなものが映っているが、実のところそれはTomのお尻にくっついたビー玉なんだ。検閲に対する「クソ食らえ」です。
私たちがトンの作品を集めた最初のコンピレーションをリリースした時、彼は音楽から身を引こうとしていました。ブラジルのレーベルはどこも彼に接触しようとせず、彼はブラジル音楽史の脚注になりつつありました。彼は荷物をまとめて北東部の小さな田舎町にある実家の乾物屋に戻ろうとしていました。しかし、このレコードは彼のキャリアを復活させ、創作意欲をかき立てたんです。彼は現在、私たちのところでの3枚目のリリースを準備中です。
喜納昌吉との出会い
イェール:僕は自分のレーベル〈ICON〉でジョン・ゾーンの『The Big Gundown』というレコードをプロデュースしました(1986年に〈Nonesuch〉からリリース)。ジョンと僕は以前から友達だったのですが(同じレコード店で働いていました)、1年かけてこのレコードをプロデュースする過程でより親密になりました。彼は日本が大好きになって東京にアパートを借りるほどで、行くたびに日本のレコードをたくさん持って帰ってきました。その中に喜納昌吉のレコードもありました。僕はこの音楽にすっかり魅了され、〈ICON〉で彼と一緒にレコードを作るために、一緒に沖縄に彼を探しに行くことにしました。僕たちは実際に行ったのだけれど、彼は見つからなかった。その頃、彼はインドで樹木を崇拝していたと聞きました。
〈Luaka Bop〉に入って1年ほど経った頃、デヴィッドが彼の喜納昌吉のコレクションを取り出してこれはどうだろうと言ったんです。僕はLPを1万枚くらい持っているけど、デヴィッドはその5分の1くらいかな。彼は世界中を旅しているうちに、いつも人から「これを持ってなきゃ」とレコードを渡されるんです。そして彼はいつも不思議と店で最高のレコードを引き当てます。とにかく、この1枚で日本の交渉のやりかたをじかに見ることができました。本当に激烈で、すべてを実現するために僕たちは基本的にその場を立ち去らなければなりませんでした。
デヴィッド:喜納昌吉は日本ではよく知られている通り沖縄出身だけれど、70年代半ばにはもう日本のポップ・シーンに大きな影響を与えていました。彼はおそらく伝統的な楽器やアジアのメロディーや歌唱とロックやレゲエのビートをミックスした最初のアーティストだと思います。坂本龍一らのイエロー・マジック・オーケストラのような他の有名な日本人アーティストたちは、アジアというよりクラフトワークやジョルジオ・モロダーに近い存在でした……また、リード・シンガーがイギリスの凄腕プロデューサー、クリス・トーマス(セックス・ピストルズ、プリテンダーズなど)と結婚したサディスティック・ミカ・バンドも、ひねくれたアジア的感性があるとはいえ西洋のモデルに非常に近かった。そのため、沖縄の人(喜納昌吉は知られている通り日本人ではなく沖縄人である)が日本のポップ界において道を切り拓き、真にユニークで異質なものを生み出すための突破口を開く必要があったのです。
その後のアルバムでは、ライ・クーダー(彼はどこにでもいる!)がいくつかの名曲に参加しています……「ジンジン」、「すべての人の心に花を」などなど。
なぜ私たちはこのコンピレーションをリリースしたのか? ある日、イェールと私はふたりともこの比較的知られていないバンドのファンであることがわかりました……そして友人や他の人たちを通して、レアなシングルや初期の音源を探し出すことができた。いい音のコンピレーションを作るのに十分なだけのね。驚きはしないが、このコンピレーションの売れ行きは過去最悪でした。奇妙に甲高いバックコーラスが敬遠されたのだと人は言うけれど、すばらしいグルーヴとすばらしくスウィングするスタイルを備えた名曲集にもかかわらず売れなかったのは、至福のニューエイジとか禅とかそういう瞑想的で神秘的なコンセプトに合わないアジアのサウンドに西洋人が入り込むのは難しかったからだろうと私たちは推測しています。いずれにせよこのグループのライブはすばらしいので、可能ならぜひ足を運んでみてほしいですね……きちんとしたコンサートというよりほとんど集会か祝賀会のような体験なんです。