Underworld
カール・ハイドとリック・スミスから成るアンダーワールドは 、世界で最も 影響力のある草分け的エレクトロニック・グループの1つとして20年以上活躍してきた。その20年間で、アンダーワールドの音楽は、ダンスフロアを超越し、90年代を代表するアイコン的映画(トレインスポッティング)から、2012年ロンドンオリンピックの開会式(彼らは音楽監督として抜擢された)まで、ありとあらゆるものに起用されてきた。

リックとカールは80年代初期にカーディフで出会う。そこから10年間、クラウトロックのゴッドファーザー、コニー・プランクとスタジオで作業したり、バンド「フルール」としてヒット曲を出すなどの音楽活動を行う。アンダーワールドの初期バージョン(通常、Mk 1と呼ばれている期間)が解散すると、リックはエセックスのラムフォードへ移り、自宅の空き部屋にスタジオを作った。スミスが、地元の有望なDJ、ダレン・エマーソンと出会うと、新しいアンダーワールドが誕生した。エマーソンのDJセットをロンドンのクラブで度々聴いたリックは、そこから大きな影響を受け、当時イギリスでまだ生まれたばかりのダンスミュージック・シーンのサウンドにインスピレーションを得て作曲するようになった。

レモン・インターラプト名義でシングルを数枚リリースしたのち、生まれ変わったアンダーワールドは、未来の青写真となる13分間の長編トラック「Mmm Skyscraper… I Love You」をリリース。当時の(あるいはそれ以降を含めた)エレクトロニック・ミュージックのレコードとは全く違う響きを持つ 1992年のシングルは、幻覚を誘発しそうなカールのモノローグが、容赦なくうねり続けるリズムトラックにぴったりとはまっていた。 アンダーワールドはバンドのようでありながら、その演奏はバンドを超えた異世界のものだった。続いて発表されたアルバム、傑作と大絶賛された1994年の『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』は 、人と機械をシームレスに融和させ、当時のMOJO誌の言葉を借りれば「ダンスミュージックだが、他のどんなダンスミュージックとも全く異なっている」ものだった。

『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』リリース後の数ヶ月で、アンダーワールドは圧倒的なライブの評判を築き上げた。ライブは、曲を新しい方向へ進化させ、その夜の雰囲気に合うようアレンジされる交流の場となった。形式にとらわれないアンダーワールドのライブは、同世代のグループの、 構成が比較的明確な演奏方法とは一線を画するものだった。

1996年初めにリリースされたアンダーワールドのセカンドアルバム『弐番目のタフガキ』では、自らを未知の領域へと追いやり、イギリス史上最高のエレクトロニックアルバムの1枚と議論の余地なく言えるような作品を誕生させた。8曲のトラックは、テクノ、ドラムンベース、ミニマル、アンビエントミュージックを経由し、ユニークとしか言いようのない音の旅路を紡ぎ出した。このアルバムで、メディアはアンダーワールドに、国宝に近いステータスを与えている。(「ペットショップボーイズ、ニューオーダー、そしてピンク・フロイドさえとも並ぶイギリスのバンド。たとえアシッド・ハウスが残したものが唯一アンダーワールドであったとしても、そこに十分な正当性を感じるに違いない。」ザ・フェイス誌)

『弐番目のタフガキ』のリリースは、アーヴィン・ウェルシュの原作を映画化して大成功を収めたダニー・ボイルの『トレインスポッティング』と時期が重なっていた。映画のラストシーンには、1995年にシングルのBサイドとしてリリースされた「Born Slippy: NUXX」が起用された。映画が成功を収め、96年の夏に曲が再リリースされる頃には、「Born Slippy: NUXX」 は大ヒット・アンセムとなる。UKシングル・チャートの2位にランクインし、イギリスで100万枚以上のセールスを記録した。

アンダーワールドの3枚目のアルバム、1999年の『ボクー・フィッシュ』でも再び賞賛を得る。−−「ものすごく長いアルバムでも、聴いていて、この音楽がずっと続いてくれたらいいのにと思う稀な瞬間がある。これは、それを強く感じさせてくれる1枚だ 。」雑誌NME−− 現在までに『ボクー・フィッシュ』は、グループ史上最高の販売枚数を記録。アルバムが多方面で成功を収めると、アンダーワールドは世界中のフェスティバルでメインステージを任されることになり、世界で最も知名度のあるエレクトロニック・グループとなっていった。その頃のフェスティバルでの公演の多くは、当時まだ珍しかったDVDフォーマットでリリースされたライブ作品『エヴリシング、エヴリシング』に収められている。


『ボクー・フィッシュ』のツアー終了後まもなく、ダレン・エマーソンはソロプロジェクトを追求すべくグループを脱退。2人組として活動を続けたリックとカールは、次のアルバム『ア・ハンドレッド・デイズ・オフ』を2002年にリリース。先行シングル「Two Months Off」は、ラジオ、クラブともに大ヒットした。(「アンダーワールドの名盤。美しく不可解な出来事…彼らはそれ以外生み出さない。」アンカット誌)

2006年、アンダーワールドはインターネットと直接販売の新たな可能性を探索し始め、『リバーラン』のシリーズをリリース。常に革新者である彼らは、デジタル配信のみで音楽をリリースした最初のメジャー・アーティストの1つだった。『リバーラン』のリリース(『ラブリー・ブロークン・シング』『ピザ・フォー・エッグズ』『アイム・ア・ビッグ・シスター・アンド・アイム・ア・ガール・アンド・アイム・ア・プリンセス・アンド・ディス・イズ・マイ・ホース』)は、新しい音楽と自由形式なシングル曲のコンピレーションが合わさったもので、2007年の『オブリヴィオン・ウィズ・ベルズ』(「効き目が切れたドラッグというよりむしろ、10年経ってもまだ続いているパーティのサウンド」NME誌)の実験的性質を方向づける作品となった。

ダニー・ボイルの『サンシャイン2057』、そして、アンソニー・ミンゲラの『こわれゆく世界の中で』の映画音楽を担当した期間を得て、リックとカールは2010年『バーキング』を発表。(「押し進むようなアンダーワールドのクラシカルなサウンドと、彼らのキャリア以降に多く誕生した技術やテクスチャが調和的に融合している」Resident Advisor)本作で2人は、同年代のプロデューサー(マーク・ナイト、ハイ・コントラスト、ダブファイアー、ポール・ヴァン・ダイクなどを含む)何人かを厳選し、彼らと共同作業を行った。その中の多くは、キャリア初期にアンダーワールドに多大な影響を受けていた。

『バーキング』がリリースされて間もなく、アンダーワールドは、2012年ロンドンオリンピック大会開会式の音楽監督に就任する。ダニー・ボイルが芸術監督を務め「驚異の島々」と題された開会式は、 世界全体で9億人の視聴者を記録し、イギリス国内でも 2700万人の視聴者を記録した。同年、アンダーワールドはQ誌のイノヴェーション・イン・サウンド・アワードを受賞した。

2014年の秋、アンダーワールドは『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』の20周年を記念して、作品のデラックス・エディションをリリース。(「ストーン・ローゼズのデビュー・アルバム以来の最重要アルバムとして当時称賛された『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』は、20年経った今でも、変わらず唯一無二で真に迫ってくる。本作はまるで、深夜に都市が独りつぶやいているように聴こえる」ガーディアン誌、「革命的なアルバム」The Quietus)ロンドンを代表するロイヤル・フェスティバル・ホールにて、アルバムを通しで演奏する1度限りの公演はほんの数秒で売り切れとなった。

『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』のリイシュー(2015年には『弐番目のタフガキ』のデラックス・エディションもリリースされている )とそれに続いた世界ツアーは、2016年のアンダーワールドの7枚目のアルバム『バーバラ・バーバラ・ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』誕生の背景となった。厳密なレコーディング・プロセスの成果となった新作では、アンダーワールドの創造的再生が披露され、自然発生と狂乱を最高峰まで極めたアンダーワールドのすべてが凝縮されている。

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カール・ハイドとリック・スミスから成るアンダーワールドは 、世界で最も 影響力のある草分け的エレクトロニック・グループの1つとして20年以上活躍してきた。その20年間で、アンダーワールドの音楽は、ダンスフロアを超越し、90年代を代表するアイコン的映画(トレインスポッティング)から、2012年ロンドンオリンピックの開会式(彼らは音楽監督として抜擢された)まで、ありとあらゆるものに起用されてきた。

リックとカールは80年代初期にカーディフで出会う。そこから10年間、クラウトロックのゴッドファーザー、コニー・プランクとスタジオで作業したり、バンド「フルール」としてヒット曲を出すなどの音楽活動を行う。アンダーワールドの初期バージョン(通常、Mk 1と呼ばれている期間)が解散すると、リックはエセックスのラムフォードへ移り、自宅の空き部屋にスタジオを作った。スミスが、地元の有望なDJ、ダレン・エマーソンと出会うと、新しいアンダーワールドが誕生した。エマーソンのDJセットをロンドンのクラブで度々聴いたリックは、そこから大きな影響を受け、当時イギリスでまだ生まれたばかりのダンスミュージック・シーンのサウンドにインスピレーションを得て作曲するようになった。

レモン・インターラプト名義でシングルを数枚リリースしたのち、生まれ変わったアンダーワールドは、未来の青写真となる13分間の長編トラック「Mmm Skyscraper… I Love You」をリリース。当時の(あるいはそれ以降を含めた)エレクトロニック・ミュージックのレコードとは全く違う響きを持つ 1992年のシングルは、幻覚を誘発しそうなカールのモノローグが、容赦なくうねり続けるリズムトラックにぴったりとはまっていた。 アンダーワールドはバンドのようでありながら、その演奏はバンドを超えた異世界のものだった。続いて発表されたアルバム、傑作と大絶賛された1994年の『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』は 、人と機械をシームレスに融和させ、当時のMOJO誌の言葉を借りれば「ダンスミュージックだが、他のどんなダンスミュージックとも全く異なっている」ものだった。

『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』リリース後の数ヶ月で、アンダーワールドは圧倒的なライブの評判を築き上げた。ライブは、曲を新しい方向へ進化させ、その夜の雰囲気に合うようアレンジされる交流の場となった。形式にとらわれないアンダーワールドのライブは、同世代のグループの、 構成が比較的明確な演奏方法とは一線を画するものだった。

1996年初めにリリースされたアンダーワールドのセカンドアルバム『弐番目のタフガキ』では、自らを未知の領域へと追いやり、イギリス史上最高のエレクトロニックアルバムの1枚と議論の余地なく言えるような作品を誕生させた。8曲のトラックは、テクノ、ドラムンベース、ミニマル、アンビエントミュージックを経由し、ユニークとしか言いようのない音の旅路を紡ぎ出した。このアルバムで、メディアはアンダーワールドに、国宝に近いステータスを与えている。(「ペットショップボーイズ、ニューオーダー、そしてピンク・フロイドさえとも並ぶイギリスのバンド。たとえアシッド・ハウスが残したものが唯一アンダーワールドであったとしても、そこに十分な正当性を感じるに違いない。」ザ・フェイス誌)

『弐番目のタフガキ』のリリースは、アーヴィン・ウェルシュの原作を映画化して大成功を収めたダニー・ボイルの『トレインスポッティング』と時期が重なっていた。映画のラストシーンには、1995年にシングルのBサイドとしてリリースされた「Born Slippy: NUXX」が起用された。映画が成功を収め、96年の夏に曲が再リリースされる頃には、「Born Slippy: NUXX」 は大ヒット・アンセムとなる。UKシングル・チャートの2位にランクインし、イギリスで100万枚以上のセールスを記録した。

アンダーワールドの3枚目のアルバム、1999年の『ボクー・フィッシュ』でも再び賞賛を得る。−−「ものすごく長いアルバムでも、聴いていて、この音楽がずっと続いてくれたらいいのにと思う稀な瞬間がある。これは、それを強く感じさせてくれる1枚だ 。」雑誌NME−− 現在までに『ボクー・フィッシュ』は、グループ史上最高の販売枚数を記録。アルバムが多方面で成功を収めると、アンダーワールドは世界中のフェスティバルでメインステージを任されることになり、世界で最も知名度のあるエレクトロニック・グループとなっていった。その頃のフェスティバルでの公演の多くは、当時まだ珍しかったDVDフォーマットでリリースされたライブ作品『エヴリシング、エヴリシング』に収められている。


『ボクー・フィッシュ』のツアー終了後まもなく、ダレン・エマーソンはソロプロジェクトを追求すべくグループを脱退。2人組として活動を続けたリックとカールは、次のアルバム『ア・ハンドレッド・デイズ・オフ』を2002年にリリース。先行シングル「Two Months Off」は、ラジオ、クラブともに大ヒットした。(「アンダーワールドの名盤。美しく不可解な出来事…彼らはそれ以外生み出さない。」アンカット誌)

2006年、アンダーワールドはインターネットと直接販売の新たな可能性を探索し始め、『リバーラン』のシリーズをリリース。常に革新者である彼らは、デジタル配信のみで音楽をリリースした最初のメジャー・アーティストの1つだった。『リバーラン』のリリース(『ラブリー・ブロークン・シング』『ピザ・フォー・エッグズ』『アイム・ア・ビッグ・シスター・アンド・アイム・ア・ガール・アンド・アイム・ア・プリンセス・アンド・ディス・イズ・マイ・ホース』)は、新しい音楽と自由形式なシングル曲のコンピレーションが合わさったもので、2007年の『オブリヴィオン・ウィズ・ベルズ』(「効き目が切れたドラッグというよりむしろ、10年経ってもまだ続いているパーティのサウンド」NME誌)の実験的性質を方向づける作品となった。

ダニー・ボイルの『サンシャイン2057』、そして、アンソニー・ミンゲラの『こわれゆく世界の中で』の映画音楽を担当した期間を得て、リックとカールは2010年『バーキング』を発表。(「押し進むようなアンダーワールドのクラシカルなサウンドと、彼らのキャリア以降に多く誕生した技術やテクスチャが調和的に融合している」Resident Advisor)本作で2人は、同年代のプロデューサー(マーク・ナイト、ハイ・コントラスト、ダブファイアー、ポール・ヴァン・ダイクなどを含む)何人かを厳選し、彼らと共同作業を行った。その中の多くは、キャリア初期にアンダーワールドに多大な影響を受けていた。

『バーキング』がリリースされて間もなく、アンダーワールドは、2012年ロンドンオリンピック大会開会式の音楽監督に就任する。ダニー・ボイルが芸術監督を務め「驚異の島々」と題された開会式は、 世界全体で9億人の視聴者を記録し、イギリス国内でも 2700万人の視聴者を記録した。同年、アンダーワールドはQ誌のイノヴェーション・イン・サウンド・アワードを受賞した。

2014年の秋、アンダーワールドは『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』の20周年を記念して、作品のデラックス・エディションをリリース。(「ストーン・ローゼズのデビュー・アルバム以来の最重要アルバムとして当時称賛された『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』は、20年経った今でも、変わらず唯一無二で真に迫ってくる。本作はまるで、深夜に都市が独りつぶやいているように聴こえる」ガーディアン誌、「革命的なアルバム」The Quietus)ロンドンを代表するロイヤル・フェスティバル・ホールにて、アルバムを通しで演奏する1度限りの公演はほんの数秒で売り切れとなった。

『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』のリイシュー(2015年には『弐番目のタフガキ』のデラックス・エディションもリリースされている )とそれに続いた世界ツアーは、2016年のアンダーワールドの7枚目のアルバム『バーバラ・バーバラ・ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』誕生の背景となった。厳密なレコーディング・プロセスの成果となった新作では、アンダーワールドの創造的再生が披露され、自然発生と狂乱を最高峰まで極めたアンダーワールドのすべてが凝縮されている。