タイヨンダイと私は、“声(ヴォイス)”に関して、インストゥルメンタル的な視点を共有しているわ。私たちは歌わないタイプのシンガーなの。
二人とも聴いている音楽の90%以上がインストゥルメンタルだし、彼と音楽のテイストを交換し合うのは楽しいわ。だからこの作品『Central Market』はずっと楽しみにしていたのよ。
この作品で彼があまり歌っていないというだけでなく、歌うときには、歌詞にリードされる形の従来のシンガー・ソングライターの手法に縛られずに、声を楽器のようにして扱っている。
むしろ、オーケストラによる完成されたストーリーテリングに、自らを深く浸透させているわ。このことはあまりコメントされていないようだけど。
まるで映画自体が存在しない映画音楽のよう。だからこそ、彼ら(ジャーナリスト)はこの作品をどう形容していいか分からないのよ。
これは映画音楽?彼はシンガー?これはインディー?現代音楽?シリアスなスラップスティック・コメディ?ティー・タイムに聴くための、ポスト・インディー・オーケストラル・プログレッシヴ・ミュージック?とかね。
この作品を聴いて、最高に楽しめている部分の一つは、これがカテゴライズ不能な作品ってことね。それにそれぞれの楽曲がとても違っている。
でもこの作品が、素晴らしいバイシクル・ミュージックだってことを保証するわ。異なる壮大なセクションがたくさん存在していて、いろいろな道や風景を自転車で走るのに理想的なの。
2009年の秋の風景がこの音楽に映像を与えてくれるということね。
タイヨンダイの作品は、素晴らしい野望と細部にまでこだわったハードワークが生み出す音楽よ。
それは20世紀の音楽のマッシュアップであり、さらに勇気を持って“未知”への一歩を踏み出しているの。
(Bjork, September 2009)
ドキっとする作品だね。素晴らしいサウンドとアイディアの詰まった壮大な映画的音楽。
これほどまでにカズーのサウンドを楽しんだことは何年も記憶にないよ。
(Fourtet, September 2009)
多くのアーティストがスタイルに対してそれぞれのアイディアを持ち、世の中の嗜好が10年単位で更新されていく状態に達した時代において、ブラクストンは、よりタフで、より楽しい何かを示してくれた。
彼は彼が好きな形と色の組み合わせのみから、自身のスタイルを作り上げている。
僕は彼の才能をガーシュインのそれと比較する――融合することによって、アートとポップ・ミュージックを矯正している――ただし、“ポップは何か”、“アートは何か”、 “なぜその二つは違うのか”、
もしくは“そもそもなぜその二2つは分かれてしまったのか”という感覚が、まったくはっきりしていないところから彼は始めているから、それは違うね。
そこから生まれたのは、ストラヴィンスキーとブラック・ダイス、メシアンとイーノ、ライヒ、ヒンデミット、そしてレズナーの特異な融合物。
だけど、タイヨンダイ・ブラクストンの音楽はやはり一番彼らしい。
(Dave Longstreth / Dirty Projectors, September 2009)