



ポップでパンキッシュでDIYな’09年最高にして最狂のガールズ・ロック・アイコン登場!
!!!(チック・チック・チック)がM.I.Aを迎えてパンクをかき鳴らしたような、
カラフルでダンサブル、ファンキーでワイルド、煮えたぎるエネルギーと強烈なテンション。
どこまでも自由奔放でエキサイティングなエボニー流ディスコ・ロックが炸裂!!
■日本盤 先行販売
■ボーナス・トラック追加収録
■BRC-231 LTD 初回限定 スペシャル・プライス \2,100(税抜 : \2,000)
■解説 新谷 洋子 & 松永 尚久
■歌詞対訳付き

SUNDAY BEST / BEAT RECORDS
www.myspace.com/ebonybones www.sundaybest.net
エボニー・ボーンズは正真正銘のスターである。それくらい単純に言えてしまうのだ。じっくり見てみれば、この南ロンドン出身の彼女が、間違いなく現代を代表するアーティストであることが明確に分かるだろう。この独学のミュージシャンは、インターネットで自らの楽曲を公開し、iTunes世代のキッズが触れることのできる幅広いジャンルの音楽をミックスさせた多彩なサウンドを披露した。しかし実際のところ、彼女を新しいDIY(DO IT YOURSELF)のスーパースターだと呼ぼうが、iPod世代のケイト・ブッシュと呼ぼうが、シンプルに次世代の大物と呼ぼうが、たいして変わらない。とにかく彼女はド派手なスターなのだ。
それは常に変わらない事実だった。シェイクスピア・グローブ座のアート・ディレクターを務めるマーク・ライランスは、エボニー・トーマスが小学校を卒業した時点ですでに注目し、いきなりマクベス役に抜擢した。テレビドラマ“Family Affairs”のプロデューサーもまた、そのスター性に目を付け、若くてグラマラスなヤスミン(Yasmin)役に起用している。当時彼女が抱えていた悩みは、パフォーマンスに対しての自らの興味は自覚していながらも、興味の対象が必ずしも演技ではないということだった。
「そのせいでいつも私は問題を起こしていたわ。プロデューサー達を悩ませて、役から外されそうだった」と彼女は振り返る。「15歳でキャリアをスタートさせたの。私は言われた通りのことが出来なかった。それって役者として褒められることではないのよ。衣装をカスタマイズしたり、台詞を変えたり、他の共演者を困らせていたわ。でもそれは、私自身が自立したアーティストになりたいって思い始めたからだと思うの。それからラップトップを控え室に持ち込んで、PRO TOOLSの古い(ダメな)バージョンで曲を作るようになった」
世の中に放たれた最初の作品がセルフ・プロデュースの「We Know All About U」。ロンドンのメルティング・ポットに育った女の子らしく、カルチャー・クラッシュの中から生まれた、グラマーかつ時代に立ち向かうパンク・アティテュード、そして騒々しいほどの楽しさを表現していた。この曲はRadio OneのDJゼーン・ロウのお気に入りとなり、話題を集めた。彼女が作った初期のもう1つの作品が「Don’ Fart on My Heart」。彼女曰く「友達のために冗談で作ったベーシックで、バカバカしい曲」。
だがそれは間違いなく素晴らしい楽曲だった。まるでエックス・レイ・スペックスが、ネリー・ファータドの「Maneater」を演奏しているかのような曲で、当時まだ知られていなかったMySpaceにアップした途端、大きなセンセーションを巻き起こした。この頃になると、彼女はこの曲に対する凄まじい反響の渦に巻き込まれていき、あげくの果てには、パプでザ・ホーリー・グレイルについてザ・ダムドのラット・スケイビーズと口論し、最終的にはこのドラマーと何度かレコーディングをしている。
彼女はベースメント・ジャックスのサポートとして初めてのライヴを行い、パンクのアプローチでポップ・ミュージックに取り組む姿勢をすぐさま世に知らしめた。「ミュージシャンの友達を集めて、1時間半リハーサルをして、ステージに上がったの。最高だったわ。フロアでベロベロになったみたいに転がり回って、笑ってたの」
そのパフォーマンスがあっと言う間に形となり、女優のエボニー・トーマスはミュージシャンのエボニー・ボーンズ(ボニー / Boneyは彼女の幼少時代のニックネーム)として生まれ変わった。その瞬間から自分のやりたくないことに意識を傾けるのをやめ、自分のやりたいことやビジョンをしっかりと見据えるようになったという。「私はラジオから聴こえてくる音楽に死ぬほど嫌気が差していた。どれも安っぽいR&Bと自暴自棄のガールフレンドについて歌うタイト・ジーンズを履いた男の子ばかり」
その後、ザ・スリッツやジュリエット・アンド・ザ・リックスとツアーをしたことで、ヨーロッパとアメリカに大きな衝撃を与え始める。
「私は完全にパンクだしDIY。だけどグラム・ロックもすごく好きなの」と語る彼女。「バンドの衣装はすべて私がデザインするの。グラマーで、といってもガールズ・アラウド的なものではなくて、自分を極限まで連れていってくれるような、ジョージ・クリントンかデヴィッド・ボウイのような感じの、着るだけで自分を表現できるものが好きなの」
また、“オズの魔法使い”でドロシーがブリキのきこりやかかしに出会うように、エボニーはあえてアマチュア・ミュージシャンを選んでバンドに加えているが、それが彼女の美学に完璧にフィットしているのである。「ライヴ・ショーは、音楽のリプレゼーションであるようにしたいの。つまりランダムで、少しカオティックでもあって、マニックなもの。私のギタリストは日本人で、ドラマーはメキシコ人。私たちは世界中様々なところから集まったジプシー・バンドみたいなの。ステージ上でカーニバルをやるみたいな感じね」
インターネット上で話題は広がり続け、USではまだ何もリリースしていないのにも関わらず、ライヴ・ショーを売り切ってしまう。その異常なまでの盛り上がりは、彼女が昨年NYで行われた“Obama for America”コンサートへの出演依頼を受けたことからもわかるだろう。「反響は最高よ。私たちのことなんて知られていないって思ってた。口コミのパワフルさを思い知らされたわ」
順風満帆だったエボニーだが、アルバムに向けた制作が始まると、初めての難関が訪れる。「去年やっとスタートしたってときに、メジャー・レーベルから一気に注目されるようになって、間違った方向に追いやられてしまったの。もちろん嫌だったわ。私じゃない気がした。『愚かな人間だけが、お金のために音楽業界に関わっている』って思ったわ。(音楽は)本当にハートから生まれるものだって気づいたの」
自身の心の強さを示すように、それまで関わっていたすべてのプロデューサーを排除し、ゼロから彼女自身で制作を再スタートさせる。
レコーディングは主にロンドンで行われた。エボニーはプロダクション作業の傍ら、ほとんどの楽器を自分でプレイしたが、マーク・ロンソンのNY仲間で、ファースト・シングル「The Muzik」でも共同作曲を担当しているアンドリュー・ワイアットといった友人とコラボレートもしている。彼女は「ブラジルとカナダにいる友人ともネット上でトラックを作ったわ」と話す。「すごく面白い経験だった。誰にも干渉されず、子供のような純粋な気持ちでアプローチできたの――ここを押したらどうなるのかな!って」
シュガーベイブスとはまったく異なり、エボニーはどのようなスターになりたいのかを明確に理解している。「私が若かった頃って、シンディ・ローパーやアニー・レノックス、ケイト・ブッシュ、グレイス・ジョーンズ、そしてビョークみたいなアーティストが活躍してた。そういった女性アーティストって、音楽で女性らしさを再定義していたと思う。『ねえ、自分をアピールするのに決まった形なんてないのよ』って。そういうのが最近忘れられていたと思う」
もしその感覚がきちんと伝わったとしたら、エボニーにとってそれは最高の喜びであり、それは表現の自由が持つスリルなのだ。
エボニー・ボーンズは、“今”のアーティストであり、“未来”のアーティストである。強烈で、ワイルド。過剰にマーケティングされたブランドにとって危険因子。この星に降り立った、カラフルなポップ・プリンセス。それがエボニー・ボーンズだ。もしくは、彼女の言うように「ケンタッキー・フライド・チキン」を求めて生まれ変わったクレオパトラ」なのだ。