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ADRIAN SHERWOOD "Audio Active Sound Crash"解説書

 オーディオ・アクティブが東京のシーンのなかで頭角を現しはじめた頃は、ちょうど〈ON-U SOUND〉が第三期のピークを迎えているときでもあった。90年代に入ったばかりの話だ。80年代から続くヒップホップやハウスの津波のように押し寄せてくるエネルギーがあり、エレクトロニック・サウンドがもっとも溌剌としていた時代でもあった。新しいサウンドがあり、新しいドラッグがあり、新しいムーヴメントがあった。1週間レコード屋に行かなかったら時代遅れになってしまう。そんな暑い季節だった。
 言うまでもなく、〈ON-U SOUND〉はエイドリアン・シャーウッドによって70年代末に始動している。それはルーツ・レゲエに深く共振するレゲエ・レーベルであり、あるいはまたポスト・パンクのレーベルでもあった。これがレーベルの第一期だとしよう。レーベルの第二期を象徴するのはファッツ・コメットでありタックヘッドだ。すなわちニューヨークのヒップホップ文化と接触した〈ON-U SOUND〉である。そしてこの時代のマーク・スチュワート&マフィアのサウンドがそうであったように、レーベルがレゲエというカテゴリーから大胆にはみ出そうとし、シャーウッドもアインシュツルテンデ・ノイバウテンのリミックスを手がけたりしたのが第二期にあたる80年代半ばの動きだ(もちろんどの時代でもこのレーベルはレゲエとの繋がりを絶ったことはない)。
 僕が第三期と呼ばせてもらっているのは、80年代半ば以降から90年代初前半にかけての、レーベルからは“白いU-ロイ”なる異名をもったゲイリー・クレイルのエレクトロニック・ダブが脚光を浴び、UKナショナル・チャートに食い込むほどのヒットを放った時代であり、デビュー間もないコールドカットにシャーウッドがリミキサーとして参加した時代。そのいっぽうでダブ・シンジケートをはじめ、女性コーラス・グループのアカブー、ルーツ・シンガーのビム・シャーマンといった人たちが〈ON-U SOUND〉のルーツ・サウンドを深く磨いていた時代、それはレーベルが火花を散らしそうな勢いでいろんなものを吸収し続けている時代だった。
 この頃〈ON-U SOUND〉は何度か来日しているので僕も彼らが来るたびにそのステージを目の当たりにしているのだけれど、ダブ・シンジケートとタックヘッドの演奏力にはほんとうにど肝を抜かれたものだった。リー・ペリー、マーク・スチュワート、ゲイリー・クレイル、アカブー、ビム・シャーマン等々、そうそうたるシンガーたちの顔ぶれが表向きには話題を呼んでいたものの、実際あの頃のライヴを観た多くの人たちに激しい衝撃を与えたのは、バンドの演奏とシャーウッドのミキシングが叩き出す迫力満点の“音”だった。そしてあの当時の、泣く子も黙らせるような〈ON-U SOUND〉ファミリーのいち員となったのが、オーディオ・アクティブだった。
 ダブ・シンジケートは1992年に、あの冒険心に溢れた季節の成果ともいえる『ストーン・イマキュレート』を出しているわけだが、その翌年にあたる1993年には、当時〈ON-U SOUND〉の日本盤をリリースしていた〈アルファ・レコード〉からオーディオ・アクティブがデビュー・アルバム『Audio Active』を発表している。プロデューサーはもちろんシャーウッドだった。
 そしてオーディオ・アクティブは1994年には初期の代表的シングル「Free The Marijuana」、あるいはデビュー・アルバムのヨーロッパ版として『Tokyo Space Cowboys』を、こんどは〈ON-U SOUND〉からリリースする。「Free The Marijuana」は英NME紙のDJチャートで第1位を獲得し、『Tokyo Space Cowboys』はインディーズ・チャートで14位まで上がるヒットとなった。バンドはそのままダブ・シンジケートのヨーロッパ・ツアーに同行したばかりか、同年のグラストンベリー・フェスティヴァルにも出演している。
 有名な話だが、オーディオ・アクティブはその初期からいろんな表現を使って、ハッパを禁止することを禁止すると言い続けている。オーディオ・アクティブはときとして政治的だが、ある意味、メッセージそれ自体はいたってシンプルだ。それはそれでほんとうに面白いし、頼もしい限りだけれど、しかしそれはある種の洒落でもあり、むしろこのバンドの本質が音楽性にあるのは明白である。
 オーディオ・アクティブの原型が始動したのは1987年だというが、ドラマーのナナオが加入し、マサ、2DDの3人を主軸とした現在のオーディオ・アクティブの骨格ができあがったのは1991年のことだ(のちにギターのカサイが参加)。彼らはその頃には、ターンテーブルやサンプラーなどを積極的に導入し、自分たちのダブ・サウンドの創造を進めていた。彼らのバックボーンにはジャマイカの音楽やアメリカのブラック・ミュージック、とりわけP・ファンクやジミ・ヘンドリックスからの影響があるけれど、バンドはそれらの模倣を拒否し、ジャンル・ミュージックに収まることを忌避した。彼らはコピーで満足するバンドではなかった。オーディオ・アクティブとは、最初から独自性を目指すほど音楽というのものに意識的なバンドだった。その姿は、同じ時期の〈ON-U SOUND〉やシャーウッドとたしかに重なる。
 僕はオーディオ・アクティブというと、あの時代に聴いたタックヘッドとダブ・シンジケートによるど迫力の演奏を同時に思い出す。たとえば、キース・ルブランやダグ・ウィンビッシュやスキップ・マクドナルドといったすご腕のミュージシャンたちによるヘヴィー級の音楽がここにある、そしてオーディオ・アクティブは電子機材を効果的に使うことでそれと比肩しうる重量級の音楽性を捻り出そうとしている、僕にはそのように思える。
 そして放り込めるものは何でも放り込んでしまう彼らの折衷主義は、現在にいたるまで継続されている。デヴィッド・ハロウも参加した1995年のセカンド『Happy Happer』、黒人マルチ奏者ララージとのコラボ・アルバム『The Way Out Is The Way』、ダンス・カルチャーからの影響を反映した1997年の『Apollo Choco』、エイジアン・ダブ・ファウンデーションやI-ROYも参加した1999年の『Return of The Red I』、ダブ・サウンドに磨きをかけた『Spaced Dolls』、その折衷主義がよりスペイシーに展開された2003年の『Back To The Stoned Age』、あるいは実験色の強い最近の『Melt』シリーズ等々、彼らの作品はそのどれもが妥協のない冒険心による産物だ。そしてまた、どの作品にも力強さというものがある。風に飛ばされてしまいそうななよなよした音楽は、彼らのもっとも嫌悪するところだろう。ダブの影響を受けているからには、どっしりと重いことが大前提なのだ。シャーウッドが選曲し、ミックスした『Audio Active Sound Crash』を聴いているとあらためてそんなことを思う。
 この31曲には、ダブ、ファンク、テクノ、ヒップホップ、いろんなものが火花を散らしそうな勢いで混入されている。それは不思議なほど古さを感じない。というか、さすがバンドをよく知るシャーウッドのミックスだけあって、彼らの“音”の魅力を実にうまく捕まえている。そして僕はオーディオ・アクティブというバンドが独自に展開するコズミック・ダブ・ファンク・ロックの凄味に、いまあらためて驚いてしまうわけである。

野田努



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