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Gotye - Like Drawing Blood album / manufactured by Beat Records / licenced from Lucky Number ('08.6.25) CD (BRC197 / Japanese): 2200 yen |
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Gotye - Like Drawing Blood album from Lucky Number ('08.9.15) CD (LUCKY020CD / import from UK): 2100 yen LP+CD (LUCKY020LP / import from UK): 2625 yen |
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| サンプリング世代の豊かな感性と卓越したポップセンスが織り成すドリーミ−&メランコリック、そしてエクレクティックなサウンドスケープ。オーストラリアをベースに活動するアーティスト、ゴティエ。次世代のベックと評され、本国では数々のアワードを受賞した秀逸作に新曲を追加収録したスペシャル・バージョンでいよいよ世界デビュー! |
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Who's Gotye?* 27歳のベルギーとオーストラリアのハーフ、現在メルボルンを拠点にしているWoulter De Backer (通称 : Wally/ウォーリ−)がGOTYE(ゴティエ)である。*ソロ・“ワン・マン・バンド”でシンガー/ドラマー/サンプラー等をこなす等、幅広い才能を持つ彼は、21世紀の新しいBeckと評されている!*2007年にはオーストラリアのグラミーとも言えるARIAにて“Best Male Artist”を獲得!また前年の2006年にはAMPで“Outstanding Potential”(注目の新人的なアワード)を獲得。オーストラリアでのアルバムセールスはトータルで10万枚に届く勢いである。 *YoutubeにてGotyeで検索をすると上記、ARIAの受賞の模様やビジュアルを融合したワン・マン・ライブ等がチェックできます。 |
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英ガーディアン紙のレギュラー・コーナー“Band of the Day”掲載文より引用 *ベルギーとオーストラリアのハーフで、Beckがthe Avalanchesに出会ったようなSSW。混乱させられるサウンドバイトとサンプルの渦...ゴティエ。*サウンドについて:GotyeはHot ChipとPostal Serviceの滑らかなヴォーカル・スタイルとソウルの影響の入ったAvalanchesスタイルのハッピー・エレクトロニカをミックスしたようだ。*今後予想されること:未来のBeckとして迎えられるだろう。“Beck To The Future”というヘッドラインの見出しが思い浮かぶ。 Press Release for Like Drawing Blood インディのアーティストが自主レーベルから作品をリリースして、ナショナル・アワードを幾つも受賞することは滅多にない。しかも、それがアーティストのベッド・ルームで作られ、レコーディングされたというアルバムなら尚更だ。その上、そのアーティストが歌を歌うドラマーで、発音が難しそうな名前だったとしたら.....? Gotye(ゴティエと発音する)はそれだけ特異な人物なのである。ベルギー生まれで、オーストラリアを拠点に活動するシンガー・ソングライターであり、ドラマーとしての顔も持ちサンプラーも操る彼は、2006年度オーストラリア・ミュージック・プライズ(マーキュリー・プライズと同等のもの)で、飛びぬけたポテンシャルを持つアーティストとして年間最優秀オーストラリア・インディ・アルバムを受賞。そして2007年9月には、オーストラリアのグラミー賞とも言えるオーストラリアン・レコーディング・インダストリー・アワード(ARIA)で最優秀男性アーティストも獲得した。また、セカンド・アルバム『Like Drawing Blood』が、オーストラリアの若者向け国営ラジオ局であるTriple Jで年間ベスト・アルバムに選ばれている。 まるで“新しいベック”であるかのように、彼は全く予期せぬものから素晴らしい曲を作り出してしまう。『Like Drawing Blood』では、フィル・コリンズ・スタイルのヨット・ロックがザ・ティフアナ・ブラス風のオーケストラ・ポップに姿を変え、その一方ではDJシャドウ・スタイルのサンプリングで、中古のレコードやカセット、VHS、mp3、そしてわずかな生楽器から集めた音を賑やかにレイヤーしている。このゴティエのユニークな魅力の一つの理由は、2000年にまで遡ることができる。当時20歳でオーストラリアのメルボルンに住んでいたゴティエことウォーリーは、隣人から奇妙な形見をもらったのだ。“隣の家の女性が他界したんだ”とウォーリーは思い出す。 “彼女は色々なジャンルのレコードの、ものすごいコレクションを持っていたんだけど、旦那さんがそれを取っておきたくなかったんだ。それで、彼がある日やってきて、こう言ったのさ。‘君はミュージシャンだよね。これが欲しいかい?’って。”エルヴィス・プレスリーのアルバムや80年代のポップ・コンピレーション、それに幾つかのいいハーブ・アルパートのレコードが詰められたものを見て、ウォーリーは考えた。“これは未発見だったり、ただ忘れ去られただけだったりする奇妙で素晴らしいサウンドの宝の山だ”。更に亡くなった隣人のレコードを譲り受けたのと同じ頃、ウォーリーはシンプルなホーム・スタジオも完成させていた。“コンピューターにサウンドカード、マイクなんかを買ったよ”と彼は説明する。ウォーリーが高校生時代からドラムを叩いていたダウンステアズというグランジ風のバンドのレコーディングをするためにそのスタジオを作っていたのだが、そのグループは前年に解散してしまった。 バンドを失ってしまったウォーリーに、ある友達がDJシャドウのアルバムを手渡し、サンプリングをベースにした音楽をレコーディングするように提案した。このアドバイスは本当にタイミングがよかった。“僕はACID(音楽用ソフトウェアの名前)を使ってたんだけど、それの使い方が分かってきたら、自分がやりたいことに上手く使えることが分かったんだ”。単純にアヴァンギャルドなヒップホップでもなく、平凡なポップ・ソングでもない。ウォーリーの新しい作品は、わずかな生演奏と、パチパチと音を立てる他のレコードから取った音を融合させたものだった。彼は、単純にリズムをループさせたり、メロディを拝借したりしただけでなく、見つけたサウンドを自分の曲に滑り込ませたりした。それはオーケストラに近い方法であり、自作曲にプロダクション面で新鮮な魅力を与えることとなったのである。 このプロジェクトのアーティスト名を色々と考えているとき、ウォーリーは子供の頃のことを思い出していた。彼は1980年5月21日にベルギーのブリュージュで生まれた。両親は地元の合唱団で出会っている。ヨーロッパの伝統的な音楽や言葉、文化は彼の中に残っている。“両親はフォーク・ミュージック、伝統的な合唱音楽、それにグルジアの音楽にとても興味を持っていたんだ”と彼は家族のことを言う。彼が若かったとき、ベルギーのフランデレン地域で使われていたフラマン語を話すフランス語教師だった母親は、ときおり彼のことを‘ゴティエ’と呼んでいた。これはフランス語の‘ウーテル’と同じ意味を持っている。ウォーリーはスペルで遊び、発音は同じままにした。そして、とうとう新しい名前が思いついた:Gotyeだ。“音楽に合っているように思えるんだ”と彼は説明する。“自分の過去から昔のものを持ってきて、それに手を加えて新しいものにするっていうね”。 ゴティエとしてのデビュー・アルバム『Boardface』は、2004年にインディでリリースされた。ウォーリーは自分のレコード・レーベルを持っているように振る舞い、アルバムはクリエイティヴ・ヴァイブスというインディのディストリビューターによってオーストラリア中に届けられた。ウォーリーの必死なセルフ・プロモーションも効を奏して、フックで一杯のアルバムのトラックのうちのいくつかは、Triple J(オーストラリアの若者向けのラジオ局。UKのBBCレディオ1のようなもの)でプレイされることになったのである。しかし、売り上げは音楽活動を本職にするには十分ではなかった。彼は落胆し、図書館での仕事を続け、もう一度挑戦しようと決めたのである。 彼のポップへの期待と不安の全てを蒸留したような、このニュー・アルバム『LikeDrawing Blood』は、なんとも説明し難い20世紀の音楽の断片のパッチワークであり、オーストラリアではウォーリー自身が想像していたよりも遥かにすごい成功を収める結果となった。彼はアルバムの作曲とレコーディングをやっているが、洗練されたアコースティック・サウンドに関しては、アーキテクチャー・イン・ヘルシンキや『Like Drawing Blood』のミキシングとマスタリングを行ったフランソワ・テタスといった現代作曲家兼、映画音楽家、プロデューサーに借りがある。“彼はこのアルバムの鍵となるプロダクションを華やかにし、ミキシングに素晴らしい深さを作り上げ、それぞれのトラックに息を吹き込んだんだ”とウォーリーは説明する。 『Boardface』でのラジオに於ける最初の成功は、2枚目のアルバムによって2倍以上の規模になった。ウォーリーがこのアルバムのレーベルを探し始めるよりも前にTriple Jは2006年にアルバムに収録されている数曲をプレイし始めた。ブロガー達がコメントを書きはじめ、様々なオファーが舞い込みはじめた。しかし、自らプロデューサー、宣伝、マネージメントまでを務めていたウォーリーは、レーベルのボスとなりクリエイティヴ・ヴァイブスから少しの助けを借りて自分のレーベルからアルバムをリリースすることにした。“インディーとしてリリースしたんだ”と彼は説明する。“アートワークとパッケージは自分で手掛けたんだ。最初CDは1000枚プレスして、500枚は媒体向けに送った。全てはそこからスタートしたのさ”。ラジオからのサポートは強くなり、オーストラリアのプレスはこのアルバムのことで溢れ出し始めた。ウォーリーはアルバムのツアーを始め(時にはワン・マン・ショー、時には一風変わったオーケストラ編成で)何層にもレイヤーされている新しいアルバムのトラックをライブ・アレンジへと変えたのだ。そして、国中の評論家達も遅ればせながら注目し始めた。『Like Drawing Blood』はTriple Jとオーストラリアン・インディペンデント・レコーズの年間ベストアルバムを受賞した。Gotyeがオーストラリアン・ミュージック・プライズに於いて飛びぬけたポテンシャルを持つアーティストとしてアワードされ、そして2007年9月には、オーストラリアン・レコーディング・インダストリー・アワード(ARIA)で最優秀男性アーティスト賞も獲得したのだ。その噂はUKへも飛び火し、2006年初めにはBBC LondonのDJ、ショーン・ロウリーが「Learnalilgivinanlovin」をUKで初めてプレイし、それから2年の月日を経てUKのラッキー・ナンバー・レーベルから『Like Drawing Blood』が遂にリリースされることになった(UKでのリリースは2008年8月予定)。“クレイジーだったよ”とウォーリーは言う。“2006年には、みんな僕の音楽を結構気に入ってくれているようだし、もし次も上手くいったら今の仕事を辞めようと決めたんだ”と言うウォーリーは、2007年には仕事を辞める事を伝えた。図書館の台車は押してくれる手を失ったかもしれないが、同時に音楽シーンは素晴らしいポップ・ヒーローを手に入れたのだ! |
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